疲れからか寝込む日があり、ベッドの中ですが
「時世時節は変わろとままよ」と来し方行く末を思案しました。
自分自身を客体化して解釈しようとすると
それは客観的に行うと言うよりは、実存的に行うなら、
可能な部分もあるだろうと、思うわけです。
実存的関与という面からは、人間の有限性や愚かさ、汚さについて
抵抗できない悲劇的感情を持たざるを得ません。
プラトンの言うイデアの世界と、現実に生きる実存の世界との結合を望むのですが、
どのようにして真理の世界と実存の世界を結ぶのか、癒やしをどのように得るのかと
繰り返し思考します。
ギリシャの哲学者プロティノスは、生涯に何度も「エクスタシー」を経験しました。
プロティノスは、実存である肉体から真の自分へと引き上げられ、すべてのものの外側に立ち、見たことのない美を目撃し、最高の秩序を確信し、至高の生を生き、神とも言うべき真理との同一性を獲得したと言います。
エクスタシーは、自己を失わないで自己を超えていきます。また、理性を失わないで理性を超えていきます。
理性と神秘の結合であるエクスタシーを、霊的感性を持つ人が経験することは稀ではないと思います。