大学に通われている、ハイインテリジェンスな方です。
パートナーから精神的、肉体的な虐待を受けた、そのトラウマ処理の中で、許せない心をどう扱うのかが話題になりました。
ゲシュタルトのエンプティチェアや自我状態での浄化などの方法が考えられますが、永遠の正義に委ねるという方法もあります。
私からは、トルストイ民話集で語られる挿話を紹介致しました。参考にブログ末尾に提示致します。
さて、愛と正義について考えてみます。
愛においては、自分自身と愛する者が持つ独立した権利を認めることが正義であり、正義は愛の一面を示すものです。
真の愛(神的な愛)は、愛する者の自由を侵害せず、その個人的社会的実存構造を破壊することもしません。また自分自身に対しても、自らの持つ自由を放棄せず、また 個人的社会的実存構造を破壊することもしません。
無秩序的自己放棄、また、無秩序的自己主張の愛は真の愛で無く、フロムの言う共生的な愛であり、一般的に見られる男女の愛はこの性格を持っています。
真の愛は、人間を強制せず放任もせず、完成へと駆り立てます。
また、正義を侵犯する人たちに対して、愛は断罪をもたらします。
それは怒りというものでは無く、愛を侵害するものに対する愛の力の反動として生じるものです。
断罪は、愛の否定では無く、愛の否定の否定です。
断罪は、愛がその本質において行う行為であり、正義を侵害するものが不可避的に自滅に至るまで放任される過程です。
愛に抗するものが感じそして経験する恐怖は、悪が必然的にたどる自己破滅的性質の意識に他なりません。
愛は、愛に反するすべてのものに反して立ち、それを自己破壊するままに放置します。
そして、愛に反することが人格の中で起こるのであれば、自己破壊に陥るのも人格です。
( Tillich )